中国古典一日一言から


【2月1日】

○ 人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり『荘子』

  普段何気なく交わしている挨拶である。そんなものはなくても、一向に差し支えないが、しかし考えてみると、それだけのことが人間関係 

 を円滑にすることに随分と役立っている。

  「無用の用」とは、無用だと思われているものこそ、実は有用なのだという主張である。荘子は、有用性だけを追い求める一面的な価値観

 から、「無用」なものまで視野に入れる価値観への転換を説いている。

  有用性だけをがつがつ追求している人間は、どこかゆとりに欠けている。人間としてのスケールも小さく、将来の大成も望めまい。

  


【2月2日】

○ 小人の学は耳より入りて口より出ず『荀子』

  耳で聞いたことをそのまま他人に受け売りするから、少しも自分のみに付かない。それを「口耳の学」という。

  自分を向上させるためには、学ぶことを忘れてはいけない。だが、同じ学ぶにしても、「口耳の学」ではかえって有害となる。

  荀子は、「昔の人は、自分のために学問に励んだが、今の人は他人のために学問している。君子は学問によって自分を向上させるが、小人

 は学問によって自分を売り物にしている。問われもしないのにしゃべる、これをオシャベリと言う。一を問われて二まで答える。これをオセ

 ッカイという。どちらも良くない。君子とは、打たねば響かないが、打てば響くものなのだ」と語っている。

  せっかく学ぼうとするなら、「君子の学」を目指したい。


【2月3日】

○ 彼を知り己を知らば、百戦して危うからず『孫子』

  要するに主観的、一面的な判断を戒める言葉である。事前調査の必要性は誰でもが知っている。だが頭で理解していても、いざ実行とな

 ると意外に難しい。後で『しまった』とホゾを噛むことの多いことか。往々にして見込み違いが生じる。その理由は、

 ①調査不足 ②希望的観測 ③思い込み がある。

  こんな理由で判断を誤ることが多い。

  戦争だけでなく、何か新しいことを始める時にも、やはり可能な限り調査をし、それを客観的に判断する冷静さを失ってはいけない。


【2月4日】

○ 敗軍の将は以て勇を言うべからず『史記』

  敗戦を招いた将軍が、負けた理由をあれこれ語ったところで様にならない。責めを一身に負って沈黙を守るというのは、その限りに置

 いては筋の通った生き方であるだろう。

  だが、そういう場合、責任の取り方には複数あるだろう。ひたすら我が身を責める。これもまた立派な責任の取り方だろう。失敗して

 もあっけらかんとしているようなリーダーは失格である。しかし、それと同時に、何故破れたのか、敗因をはっきりさせるのも、敗れた

 者の責任の取り方ではないか。それをやってもらわないと、後の者が同じ失敗を繰り返す可能性がある。

 


【2月6日】

○ 面従して退いて後言あることなかれ『書経』

  面と向かっては、はいはいと相手の意見に従っておきながら、影に回って不平不満を並べたり、非難したりすることはするなという。

  舜が後継者になった禹に戒めとして送った言葉である。

  これも冒しやすい過ちの一つである。普段から気をつけていないと、ついついやりがちである。これのマイナスは二つある。一つは、

 こちらの人格を疑われてもやむを得ない。もう一つは、後言は必ず相手の耳に入る。「ここだけの話」と念を押せば押すほど、相手に

 筒抜けとなる。その結果、人間関係を決定的に悪化させる。

  言いたいことは直接相手に告げること。言ってはならないことは、あくまで沈黙を守ることが良い。  


【2月7日】

○前事忘れざるは後事の師『戦国策』

  「前事」とは、以前のことで、自分の体験もあり、歴史上の事案もあるだろう。それを肝に銘じていれば、現代を生き、将来を生きる

 上で参考になるのだという。特に重要なのは、失敗の経験に学ぶことである。それをしないと、何度も同じ失敗を繰り返す。これは賢明

 な生き方ではない。

  思い出したくない苦い経験であればあるほど、しっかりと肝に銘じておけば、進歩も期待できる。  


【2月8日】

○ 吉人の辞は寡なく、躁人の辞は多し『易経』

  「吉人」は徳のある立派な人物、「躁人」とはその反対である。したがって言葉の意味は、「徳のある人物は口数が少なく、徳のない

 者に限って、言葉を並べ立てる」ということになる。

  言葉というのは、その人の心の動きを正直に映し出す。易経は、『人を裏切ろうとする者は、言葉に後ろめたさが表れる。心に疑いを

 持っている者は、言葉に迷いが生じる。善を悪と言いくるめようとする者は論旨に一貫性が無くなる。信念を持たぬ者は、言葉遣いも卑屈

 になる』という。言葉は吟味してかかり、発言は慎重を期さねばならない。べらべらしゃべるのは、百害あって一利無し。 


【2月9日】

○ 遇と不遇は時なり

  孔子が弟子を連れて諸国遊説の旅を続けていたとき、ある国で政争に巻き込まれ、空きっ腹を抱えて何日も立ち往生したことがある。

  その時子路が『君子でもこんな惨めな思いをしないといけないのですか?」と食ってかかった。

  孔子はその時、この言葉を引用して子路の不満をなだめたという。

  『遇』とは、何をしてもトントン拍子に進むこと、『不遇』とはその逆を言う。それは「時」を得るかどうかにかかっている。誰の

 人生にも、遇と不遇がついて回る。問題は不遇な時の過ごし方である。そんなとき、変に卑屈になったり、じたばた悪あがきをしていた

 のでは、将来の展望など開けない。

  孔子は、『身を修め行いを正しくして以てその時を俟て』と付け加えている。そんな時こそ、じっくりと自分を鍛えながら、ツキが

 回ってくるのを待てというのである。


【2月10日】

○ 可を見て進み、難きを知りて退く『呉子』

  「呉子」は兵法書の古典である。この言葉は「有利とみたら進み、不利とみたら退く」ということ。なんだそんなことかと言うかも知れ

 ないが、こういう合理的かつ柔軟な思考を苦手としている人は多い。勝算もないのに闇雲に突き進むことをもって勇気があるとみなしたり

 撤退することをもって臆病という人々はこの類である。

  この意味を知っている人こそ、実は本当に勇気のある人物なのだ。そしてそのためには、冷静な判断力を必要とすることも忘れてはなら

 ない。


【2月11日】

○ 天地の道は極まれば則ち反り、盈つれば則ち損図『淮南子』

  季節の移り変わりは天地の法則である。月は満ちて満月となり、またしだいに欠けていく。いつまでも満月ではいられない。これも動か

 しがたい法則である。

  人間社会を支配している摂理も、これと同じである。次第に上り詰めて頂点を極めると、もはやそれ以上の頂上は無く、待っているのは、

 下り坂である。かりにどん底に沈んでも、そこから先に見えてくるのは、上り道であると心得たい。

  だから、頂上を極めても驕ることなく、一層慎重な処世が望まれる。逆にどん底に落ちても決して落胆することは無い。焦らず騒がず、

 力を蓄えながら、時を待つことである。


【2月12日】

○ 人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん『唐詩選』

  唐詩選の巻頭にある「述懐」と題する詩の一節にある。作者は魏徴。唐時代に太宗に仕えた名臣である。

  太宗が即位する前に兄の建成と骨肉の争いをしている時、魏徴は建成側の謀臣として活躍した。この争いで兄の建成は殺され、太宗が

 即位するが、魏徴は才能を認められて太宗の幕下に迎えられ、やがて命を受けて東方に出向いていった。その時に詠んだものだとされる。

  人生は、男同士の意気に感じるもの、功名などは問題とするに当たらないという意味。

  人間はそれぞれの利益によって動くものだとしても、お互い打算ばかりで動いていたら、あまりにも味気ない。魏徴のように、『人生意気

 に感ず』という側面があっても良いだろう。

 


【2月13日】

○ 人生は白駒の隙を過ぎるがごとし『十八史略』

  人生は戸の隙間から白馬が通り過ぎるのを見るようにほんの一瞬のことにすぎない。人生の短いことを語った言葉だ。宋の初代皇帝太祖

 が位について部下に語ったものである。 

  短い人生をどう過ごすか?『菜根譚』は、「天地は永遠であるが、人生は二度と戻らない。人の寿命はせいぜい100年、あっという間に

 過ぎ去ってしまう。この世に生まれたからには、楽しく生きたいと願うばかりでは無く、無駄に過ごすことへの恐れを持たなければなら

 ない。」という。

  楽しく、有意義に充実した人生を送ることが出来れば、それに越したことはないだろう。

 


【2月14日】

○ 徳は事業の基なり『菜根譚』

  事業を発展させる基礎となるのは、経営者その人の持っている徳だという。菜根譚は、「基礎がぐらぐらしているのに、建物が堅固であ

 った試しはない』付け加える。

  中国3000年の興亡の跡をたどると、勝ち残りに成功した者は、それぞれにずば抜けた能力に恵まれていた。では能力だけで十分かという

 とそうではない。それにプラスリーダーとしての徳を身につけていなかったら万全とは言いがたい。

  このふたつの条件は、車の両輪のような関係にあるが、中でも重要なのが徳である。徳にかけた人物は仮に一時的に隆盛を極めても長続

 きしない。

  人の上に立つ人物は、リーダーとしての徳を磨く必要がある。そうでないと事業を発展させることができない。


【2月15日】

○ 人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり『老子』

  『人を知る者は智者のレベルに過ぎない。自分を知る者こそ明知の人である』という意味になるだろう。

  人を知るだけでも並大抵のことではない。しかし、それよりもはるかに難しいのが、自分を知ることである。人のことは判っても、自分

 のことは判らないのが一般的だろう。それではことに臨んで的確な判断を下すことができない。

  「智」は、深い読みの出来る能力である。洞察力と入っても良い。「明」も洞察力には違いないが「智」よりもさらに深いところまで

 洞察できる能力を言う。したがって、的確な判断力を養うには、「智」はもちろん、さらに高いレベル「明」を身につける必要がある。

  孫子は、「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」と語る。「老子」に言わせれば「明」があって初めてそれが可能となる。


【2月16日】

○ 善く将たる者は愛と威とのみ『尉繚子』

  立派なリーダーとなるためには、「愛」と「威」の二つの条件が必要でありかつ十分である。「愛」とは愛情、恩情、思いやりである。

  「威」とは、重圧感を与えるような厳しさ、強さをいう。いずれも部下に対する統率力に関する言葉である。リーダーが自分の地位や

 権限を振りかざせば、部下を従わせることは出来るが心服はされない。面従腹背になる。部下のやる気を引き出し、「この人のためならば」

 と思わせるためには、普段から「愛」を持って臨む必要がある。

  しかし、「愛」だけでは組織管理に甘さが出る。下手をすると上も下もまあまあのなれ合いが生まれ、組織としてのまとまりがなくなる。

 そうならないためにも、「威」が必要である。バランス良く使うことが必要だ。

 


【2月17日】

○ 久安を恃(たの)むことなかれ、初難を憚(はばか)ることなかれ『菜根譚』

  「久安」は長く続いた幸せな状態、「初難」は最初にぶつかる困難のこと。要は「今の幸せがいつまでも続くと思ってはいけない。最初の

 困難に逃げ腰になってはいけない」ということだろう。

  幸せな状態が続くと、それがいつまでも続いて当たり前となる。それが不幸に見舞われるとトタンに取り乱す。普段から抵抗力を養い、

 物心両面の備えをしておく。

  何をするにも困難はつきものだが、最初の困難に腰砕けになっては話にならない。何とかなると自分に言い聞かせてやることである。


【2月18日】

○ 小利を観れば、則ち大事ならず『論語』

  子夏という孔子の弟子がある町の長官に任命されたとき、政治の取り組みのアドバイスを孔子に聞いた。孔子は「速やかなるを欲するなか

 れ。小利を見るなかれ。速やかならんと欲すれば、則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず」と答えた。要は「焦らないことと小さい利益

 に惑わされないこと。焦るとし損じるし、小さい利益に惑わされると大きな仕事はできない」ということだ。

  これは、政治だけではなくどんなことにも当てはまる。長期の目標を立て、その目標に向かって一歩一歩着実な前進をしていく。そうすれ

 ば焦ることなく、小利に惑わされることもない。


【2月19日】

○ 楽しみは極むべからず『礼記』

  人生には楽しみが必要である。長寿に恵まれた堅物のご老人が「私の生き方は、人様にはお薦めできません」と回顧していた。

  人生は短い。その短い人生にこれといった楽しみがなく、あくせく働くことだけで終わるなら何のための人生か。折角の人生せいぜい楽

 しむことを心がけたい。

  その楽しみ方だが、退職してゴルフ三昧と思っていたが、いざ退職して毎日出来るようになると緊張感も失せかえって味気ないものとなる。

  楽しみごとは、のめり込めばかえって苦しみを増す。ほどほどがちょうど良い。

 


【2月20日】

○ 人はすべからく事上に在って磨くべし『伝習録』

  『伝習録』は、王陽明の言葉を記録した言行録で在る。生活や仕事など毎日の実践を通して自分を磨けというのだ。

  自分を磨く方法は、まず第一に、優れた先達の教えに耳を傾けることだ。そのためのてっとり早い方法は古典を読むこ

   とである。古典というのは、いわば先達の叡智の結晶であり、長い歴史のなかを生き残ったもので、時代を超えた素晴ら

   しい教訓に満ちあふれている。

  だが、本を読み、人の話を聞くだけではなかなか生きた知恵は身につかない。学んだものをしっかりと身につけるに

   は、平行して「事上」で自分を鍛え、身体で覚えることが必要なのだ。

  実践を伴わない知識は、しょせん付け焼き刃にすぎない。実践の中で磨かれてこそ、知識も人間も本物となるだろう。


【2月21日】

○ 知りて知らずとするは尚なり、知らずして知れりとするは病なり『老子』

  知っていても知ったかぶりをしない。それが望ましいあり方だ。知りもしないのに知ったかぶりをするのは重大な欠点だ。

  問題は知ったあと、どうするかが問題である。したり顔でまくし立てると周囲の反感を買う。会社で例に言うと、上司から

 「あの件はどうなっている」と問われたら、最小限のことはキチンと答えること。聴かれもしないことを言うと墓穴を掘る。  


【2月22日】

○ 夜郎自大『史記』

  違いもわきまえず、尊大に構えて物事を判断することを指す。「夜郎自大」は、自他の位置関係を正確に測れない視野の狭さ

 から生じる。


【2月23日】

○ 用兵の道は心を攻めるを上となす『三國志』

  諸葛孔明が軍を率いて反乱を制定しに行く際に、参謀の馬謖に意見を聞いた。馬謖は「それ用兵の道は、心を攻めるを上となし、城を攻め

 るを下となす。願わくは公、その心を服せんのみ」と答えた。

  敵地に軍を進め、敵の首領をとりこにする。だが捕らえた首領を釈放し、また戦って又捕らえ、7回も繰り返した。さすがの首領も心の底

 から服属を誓い、存命中は二度と背かなかった。

  力で押さえ込んでも心服はされない。この時の孔明のやり方はすべての人間関係に当てはまるだろう。  


【2月24日】

○ 政をなすの要は、ただ人を得るに在り『貞観政要』

  唐の太宗は、二代目として創業から守勢に移る時期の舵取りにあたり、唐300年の基礎を固めた名君。

  太宗が名君とされた理由の一つに、人材の招致に熱心だったことがある。この男は能力があり人物がしっかりしているとみると、かつて

 敵側にあった相手でも要職に抜擢し、共に力を合わせて国政に当たった。

  人を得なければならないのは、政治の世界に限ったことではない。どんな組織でも人を得なかったら、たちまちおかしくなってしまう。

 コンターネット全盛の現代でも、基本的には変わりはない。太宗は『用うることその才にあらざれば、必ず治を致し難し』とも語っている。


【2月25日】

○ 善く吏たる者は徳を樹う『韓非子』

  孔子の弟子、子皐が衛の國の裁判官をつとめていた時、一人の男を足きりの刑に処した。刑期を終えた男はやがて城門の番人に取り立て

 られた。その後衛の國に内乱が起こり、身に危険の迫った子皐は城門から脱出しようとした。するとくだんの番人に呼び止められて、地下  

 室にかくまわれ事なきを得る。子皐が訳を尋ねたところ、番人は「私の罪は逃れようもないものでしたが、あなたは取り調べの時、なんと  

 か罪を免れさせようと一生懸命でした。また、罪状が確定して判決を申し渡されるときには、いかにもつらくてならぬと煎ったお気持ちが

 ありありとみて取れました。あのときから、わたしはあなたを徳としているのでございます。」と答えた。

  後にこの話を聞いた孔子は、「善く吏たる者は徳を樹う」と語ったという。上に立つ者には、徳が必要であるという話である。  


【2月26日】

○ 蝸牛角上の争い『荘子』

  魏の國の恵王という王様が斉の國を攻撃しようとしたとき、戴晋人という賢者が、こう語りかけた。「王様はカタツムリというものをご

 存じでしょうか」、「知っている」「そのカタツムリの角には触氏という者の國が在り、右の角には蛮氏という者の國があって、絶えず領

 土争いを繰り返していました。この地上の争いも、みなこのたぐいではありませんか」

  人間の営為など「蝸牛角上の争い」のようなものかもしれない。白だ黒だと争っていても、所詮小さな世界の出来事にすぎない。現実の

 しがらみに苦しんでいる人でも、この話を思い出せば自分を客観視できて、熱した頭を冷やすことが出来るかも知れない。


【2月28日】

○ 益者三友、損者三友『論語』

  立派な友人に恵まれるのは人生の幸せの一つである。その人物を知ろうとするなら、付き合っている友人を見ればよいと語っている人も

 いるから、友人を選ぶにはよほど慎重を期した方が良いのかも知れない。

  では、どんな相手を友人に選ぶべきか。「友を選ばば所を読みて、六部の侠気、四分の熱」とうたったのは与謝野鉄幹であるが、孔子の

 アドバイスは遙かに現実的である。孔子は、付き合っている為になる友が三、ためにならない友人が三あるとしている。

  「直を友とし、諒をを友とし、多聞を友とするは益なり。便辟(べんべき)を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは損なり」

  ためになる友人とは、①剛直な人、②誠実な人、③教養のある人である。逆にためにならない友人は、①易きに付く人、②ひとざわりば

 かりよい人、③口先だけうまい人だという。


【3月1日】

○ 60にして、耳順う。70にして心の欲するところに従いて矩を踰えず『論語』

  「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する

 所に従いて矩を踰えず」

  あまりにも有名な言葉である。15歳の時に学問で身を立てようと決心し、30歳でその基礎が出来、40歳で自分の進む方向に確信を持てる

 ようになった。50歳で天命を自覚し、60歳の時にはどんな意見も素直に耳を傾けるようになり、70歳になると欲望のままに振る舞っても、

 人間の規範を逸脱しないような自在の境地に達することが出来たという。

  孔子が自らの生涯を要約した言葉だとも言われる。容易なことではないが、我々凡人は、これらのレベルを努力目標とするだけでも意義

 があると思う。


【3月13日】

○ 天下を争うものは必ず先ず人を争う『管子』

  「人を争う」には、二つの意味がある。

  1 人材の招致

  2 人心の掌握

  大きな事業を成そうとするなら、何よりも先ずこの二つのことを心がけること。

  どんなに優れた能力に恵まれても、人間一人の能力には限りがある。大きな事業を成し遂げるには、どうしてもまわりの人々の支持と

 協力を必要とする。結局それに成功した者が勝ち、それに失敗した者が敗れる。例えば、漢の高祖劉邦がライバルの項羽を倒して天下を

 取ったのも、「三國志」の劉備が乱世を生き残ったのも、その理由はなによりもまずこの二つのことを心がけたからである。

  そのためには、どうすればよいか?『管子』によれば、目先の利益にこだわらず、しっかりとした大局観にたつことが必要だという。 


【3月14日】

○ 我に諂諛(てんゆ)するものは吾が賊なり『荀子』

  「諂諛』は、こびへつらうこと。耳に心地よい甘い言葉を持って近づいてくる者は、みな賊のようなものだという。なぜなら、ついその

 気になってのぼせ上がり、自分を見失ってしまうからである。これはとくに人の上に立つ者の自戒しなければならないことである。

  おべっかや甘い言葉に弱いのは、人の常。きついことを言ってくる相手より、心をくすぐるようなことを言ってくる相手を引き立てたく

 なるのは、人情の自然でもある。現に、どんな組織でも、そういうケースが少なくない。

  だが、リーダーがそれをやっていたのでは、二重の意味で不幸である。

  第一に、自分をだめにしてしまう。甘い言葉だけ聞いていたのでは、進歩も向上もない。第二にそれは軽重の判断を誤る元で在り、その

 結果、組織までだめにしてしまう。


【3月15日】

○ 人にして信なくんばその可なるを知らざるなり『論語』

  「信」とは、嘘をつかない、約束を守るといった意味である。その「信」に欠けていたのでは、人間としての評価に値しない。さらに

 言えば、「信」がなかったら人間失格のレッテルを貼られてもやむを得ない。

  これは中国人の伝統的な認識でもあった。しかし、それはかくありたいという理想であって、現実の人間がすべて「信」を持った人ばか

 りとは限らない。それどころか、実際には平気で嘘をつく人間の如何に多いことか。

  そこで必要となるのが、人を見る目である。相手が「信」のある人間であるかどうかしっかりと見届け、その上で対応しなければなら

 ない。もし相手が「信」のない人間だと見極めたら、敬して遠ざかった方が無難である。これは人間学のイロハである。

 


【3月16日】

○ 清にしてよく容れるあり、仁にしてよく断を善くす『菜根譚』

  「清」は清廉で、「仁」は思いやりである。したがって「清廉で逢ってしかも包容力がある。思いやりがあってしかも決断力にに富む。

 言うまでもないが、世の濁流に染まらず、清潔に身を持すのは容易ではない。その意味で、清廉は美徳だが、清廉の士の欠点は、自他に厳し

 さを求める余り、包容力に欠ける。

  同じように、思いやりも美徳であるが、度が過ぎると人情のしがらみに足下をすくわれ、決断が鈍る。

  このような矛盾しがちな要件を両立させ、バランスの取れた人間像が形成される。『菜根譚』はこういう人物こそ蜜を使っても甘すぎず

 塩を使っても辛すぎないといい、理想のあり方に近いという。


【3月17日】

○ 兵を用いるの害は猶予最大なり『呉子』

  「猶予」とは、ぐずぐずためらうこと、優柔不断ともいう。それが軍を率いるリーダーにとっては最大の欠点だという。戦いは命がけで

 一瞬の判断ミスが生と死を分ける。まして決断すべき時にキチンと決断できなければ話にならない。

  一般に誤りのない決断を下すためには、豊富な情報が必要となる。偏った情報に基づいていたのでは、誤った決断をしてしまう。情報が

 多ければ良いというものでもない。雑多な情報に振り回されたのでは、かえって誤った決断を下すことになる。そこで望まれるのが、どんな

 ピンチにも動じない冷静な判断力である。これがあってはじめて的確な判断が下せる。


 【3月18日】

○ 士は己を知る者のために死す『戦国策』

  中国の春秋時代末期、予譲という男が晋の重臣知伯という人物に仕え重用された。その後知伯は政敵の襄氏に滅ぼされる。その時予譲は

 山中に逃れ、「ああ、士は己を知る者のために死し、女は己を愛する者のために化粧する。主君の恨みは必ず晴らす」と言って襄氏を狙

    う。

  だが苦闘の末に捕らえられる。襄氏が「お前は他の人物に仕えていたのに、なぜ知伯のためにだけ仇を討とうとしたのか」と問われ、

 「他の主君に仕えたが、十人並みの遇しかただったが、知伯は国士として遇してくれた。だからわたしも国士として報いる」と応えた。

  この説話は、部下の心情を理解し、それを態度で示すことが相手のやる気を引き出すカギとなることを示唆している。


【3月19日】

○ 天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず『孟子』

  やりたいことを実現するには、3つの条件が整うことが大切という。

  ・ 天の時 実行のタイミング

  ・ 地の利 立地条件

  ・ 人の和 内部の団結

  孟子は、これに優先順位をつけて、「人の和」が最も重要だという。「人の和」を勝ち取るには、正しい「道」に乗っ取って行動するこ

    と、つまり、皆に支持される目標を提示することだと言っている。 


【3月20日】

○ 貧しくて怨むなきは難く、富みて驕るなきは易し『論語』

  財産も地位もあるとすれば、自分では気をつけていても、ついそれが表に出て、人を見下すような態度となる。だからそのような恵まれ

   た状態にあっても人を見下すような態度を取らないのは、なかなか出来た人物である。

  孔子に言わすれば、それはまだ易しいこと。難しいのは、貧しくてもひがみ根性を持たないことだ。

  人は誰でも不遇な状態に置かれると、なんでおれだけこんなみじめな思いをと、人を恨み、天を怨みたくなる。これは人情の自然であっ

   てその逆は、よほど出来た人間でも難しい。

  孔子という人は、逆境に育った人である。小さい時から生活の苦労に耐え、貧乏暮らしの辛さ、苦しさをつぶさに眺めながら成長した。

 この言葉には、そういう人物の実感がこめられている。人間学の至言といっても良いだろう。 


【3月21日】

○ 大富は命に由り、小富は勤に由る『俚諺』

  「命」とは、天命とか運命という意味である。「勤」とは勤勉である。この諺の意味は「小さな財産は勤勉によって得られるが、大きな

 財産は運命次第だ」ということになる。

  「命」とは、天の意思であり、人間の力ではなんともしがたい。例えば人間の寿命、貧富、禍福などは生まれる前から決まっている。


【3月22日】

○ 患いは忽せにするところより生じ、禍は細微より起こる『説苑』(ぜいえん)

  少しの気の緩みから、大きな事故が起こることをいう。工事現場などで「油断一秒、怪我一生」というポスターが掲示されているが、い

   わんとしていることは同じこと。人間のしでかす失敗の本質は、昔も今も変わらない。

  誰しも、難しい仕事を抱え、一生懸命打ち込んでいれば緊張感が張り詰めている。気持ちの緩みが起こるのは、むしろ仕事が順調に行っ

   ているとき。

  これも人間の犯しがちな過ちだが、なにか問題が起こっても、些細な問題だからと目をつぶろうとする。その結果、問題をこじらせて、

   解決を遅らせてしまう。好調な時こそ一層気持ちを引き締め、些細な段階のうちに禍の芽を摘み取ることが賢い処世術なのかも知れない。


【3月23日】

○ 怨みに報いるに徳を持ってす『老子』

  徳を以て怨みに報いる。旧怨にこだわらず、常に善意を持って他者に対応せよということである。人間関係の極めて高いレベルを示す。

  この言葉は、「老子」た゜けでなく、「論語」にも同じような問答がある。 


【3月24日】

○ 満は損を招き、謙は益を受く『書経』

  「満」は慢心。「謙」は謙虚である。

  自分の力を頼んで、力尽くで相手を押さえ込もうとする態度、自分の能力を鼻にかけて見下すような態度、上から目線での物言いなど、

 すべて「満」である。それが一体なぜ損を招くのか?二つの理由がある。

  ひとつは、自分自身、それ以上の進歩や向上が望めない。二つ目は、必ず反発を受けてまとまる話もまとまらなくなる。

  こうした以上二重のマイナスとなる。その点「謙」は、逆作用である。こちらが謙虚な態度に出れば、かえって周囲の指事を得る。特に

 力のある者、能力のあるものが謙虚な態度に徹すれば、そのメリットは一層おおきいだろう。  


【3月25日】

○ 言行は君子の枢機なり『易経』

  枢機は、肝心要の鍵と言える。君子であるかどうかを判定するポイントは、言行にあるという。だから、発言と行動には普段からくれぐ

   れも慎重を期すことが求められる。

  唐の太宗が、「人と語ることははなはだ難しい。一般の庶民の間でも、相手の気に障るようなことを口にすれば、いつか仕返しをされ

   る。まして君主たる者は、どんな些細な失言でも影響するところが大きく、庶民の場合とは同列に論じられない」と言った。

  発言だけでなく、行動についても全く同じであろう。地位が高くなると、発言と行動には一層の自戒が求められる。  


【3月26日】

○ 法三章のみ『史記』

  漢の高祖劉邦が秦を滅ぼした直後、従来の煩雑な法令をすべて廃止し、法律は三箇条にとどめたという故事。その決め事は、

  ・人を殺した者は死刑

  ・人を傷つけた者、盗みを働いた者は処罰する

  ・秦の定めた法律はすべて廃止する

 を布告した。人々は歓喜して迎え、劉邦に対する支持が一気に高まった。のちに劉邦が天下を握る基盤がこの時作られた。巧みな人心収攬

   術である。  


【3月27日】

○ 難に臨んでは苟も免れんとするなかれ『礼記』

  困難にぶつかっても、逃げ腰にならず真っ正面から立ち向かえと。一口に困難といっても、様々なものがある。この場合、どんな困難に

   も恐れずに立ち向かえというのではない。礼記は、「義を傷(やぶ)らんが為なり」とある。逃げるのは、「義」に反する行為だから、それは

   まずいというのだ。従って、この言葉は、自分が正しいと信じて進んだ道は、前途にどんな困難が待ち受けていても、避けて通ってはなら

   ないとなる。

  ふつう困難にぶつかった場合は、逃げても良いし遠回りしても良い。その時の情況に応じて、臨機応変に対処すれば良い。何も正面突破

   だけが正しいのではない。だが、自分が正しいと信じたことは、別である。これでたじろぐようでは、人生の根幹に関わってくる。


【3月28日】

○ 欲あれば則ち剛なし『近視録』

  「剛」は「柔」の反対語である。剛の強さは、自分が正しいと信じたことはあくまでも主張して譲らない強さ、あるいは烈しい嵐にビク

   ともしないでそびえ立ってい木の強さである。これは美徳であるが、それも私欲があると失われてしまう。妥協に走るからである。

  孔子が「吾いまだ剛なる者を見ず」と嘆いたところ、「伸棖(しんとう)という男はどうですか」と聞いた者がいた。孔子は「棖や慾あ

   り。いずくんぞ剛なるを得ん」と答えた。 


【3月29日】

○ 世に伯楽有り、然る後に千里の馬あり『文章軌範』

  「伯楽」は馬を鑑定する名人のこと。「千里の馬」は一日に千里も走るといわれた駿馬のこと。ある男が駿馬を売りに出したが、全く売

    れない。そこで伯楽に頼み込んで、馬の周りを眺めて、その後振り返って貰うよう頼んだ。すると駿馬の値段が跳ね上がった。このよう

    に、千里の馬は伯楽がいてこそ見いだされる。人間も同じこと。どんなに才能があっても、見いだしてくれる伯楽に出会わないと、世に出

    ることは難しい。 


【3月30日】

○ 前車のの覆るは後者の戒め『漢書』

  これは、前の車が転倒したら、その二の舞をしないように気をつけろということ。漢の文帝は、よく秦の失敗に学び、自ら節倹を旨と

   し、政治にたずさわった。その結果業績を上げて名君とうたわれた。

  前人の失敗は、記憶に生々しいだけにこれに勝る教訓はない。


【3月31日】

○ 軽諾は必ず信少なし『老子』

  「軽諾」は簡単に承知すること。つまり安請け合いのこと。

  我々が犯しがちな過ちの一つに、この安請け合いがある。前後の事情も考えずその場の雰囲気に飲まれて、「わかりました。なんとかし

    てみましょう」と、相手に希望を持たせるようなことを言ってしまう。その結果、後で自分で自分を苦しめることになるばかりでなく、相

    手の不信を買うことにもなる。

  リーダーの場合、この「軽諾」のマイナスはひときわ深刻である。やたら、「失言取り消し」ばかりでは、部下の信頼を得られず、自ら

    のからの威信にもかかってくる。下手に雄弁であるより、寡黙を心がけた方が得策の場合もある。

 


【4月1日】

○ 流水の清濁はその源にあり『貞観政要』

  「源」とは、組織のトップである。トップがまともであれば、自ずから部下も全うになり、トップがざっとしていれば自然にそれが部下

    にも感染していく。

  唐の太宗が「流水が澄んでいるか濁っているかは、源の善し悪しにかかっている。君主がでたらめなことをしていて、臣下に真っ当なこ

    とを期待するのは、ちょうど濁った源をそのままにしておいて流水の澄むことを望むようで、無理な話だ」と語った。

  企業の管理職と部下の関係に置き換えれば、同じことが言える。部下が言うことを聞いてくれないという前に、自分の普段の言動を振り

    返ると良い。


【4月2日】

○ 君子は和して同ぜず、小人は同して和せず『論語』

  「和」とは、自分の主体性を堅持しながら他と協調すること。「同」とは付和雷同である。この言葉の意味は「君子は協調性に富むが、

 無原則な妥協はしない。小人は逆である。やたらと妥協はするが、真の協調性はない」となる。

  日本では、昔から「和」が強調されすぎて、我々の理解する「和」は、それが強調されすぎて、個人が組織に埋没してしまう。孔子に言わ 

    せるとそれは「和」というより「同」に近い。あくまで一人一人の主体性が確立されていなければならない。。その上でほんものの「和」

    が生まれる。


【4月3日】

○ 琴柱(ことじ)に膠(にかわ)して瑟(しつ)を鼓す『史記』

  琴柱を膠で固定してしまうと、出てくるのは同じ音になり音楽にならない。つまり融通の利かない硬直した思考を笑った言葉である。

  戦国時代、趙の國に趙奢という名将がいた。その子の趙括も子供の頃から兵法書を研究し、軍事にかけては自分の右に出る者はいないと

    自負していた。趙奢亡き後、この趙括が趙軍の総司令官に抜擢された。ところが惨敗し自らも戦死した。

  何故敗れたのか。起用された時、重臣の一人が反対した。「趙括の兵法は、柱に膠して瑟を鼓すようなもの。理屈こそ達者ですが、いざ

    実戦となった場合、臨機応変の指揮はできない」と。

  言わば趙括の敗因は、実戦体験に乏しい硬直した思考にあったと言える。


【4月4日】

○ これ賢これ徳、よく人を服す『三國志』

  劉備が大敗を期し、諸葛孔明に後事を託して死去した時、我が子に一通の手紙をしたためた。その中で劉備は、「人生50まで生きてい

    れば短命とは言えない。自分は60余となった。怨むこともないし悔やむこともない。『小さな悪だからといって、決して行ってはなら

    ぬ。小さな善だとおろそかにしてはならない。賢と徳、この二文字が人を動かす。自分は徳に欠けていた。この父になってはならぬ』」。

  劉備は、謙虚と信頼を持って部下に接していた。その彼が徳に欠けていたと反省の弁を子供に伝えている。


【4月5日】

○ 伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し『菜根譚』

  「長い間うずくまって力を蓄えていた鳥は、いったん飛び立てば必ず高く舞い上がる」という。「他に先駆けて咲いた花は、散るのも早

    い。この道理さえわきまえていれば、途中でへたばる心配もないし、功を焦っていらいらすることもない。」

  人生に逆境はつきもの。問題はその時期を同過ごすかだ。最もまずいのは、焦ってバタバタ走り回ること。そんなことをやっていたので

    はエネルギーを消耗してしまう。ピンチこそチャンスだという。逆境のときこそ、実は自分鍛え直すチャンス。焦らず騒がず力を蓄えなが

    ら、静かに時を待ちたい。短期晩成という言葉もある。

  速やかに生長するものは早く枯れ、徐々に生長するものは永続する。(ポーランド・アメリカのジャーナリスト・小説家の言葉)


【4月6日】

○ 事を処するには心あるべからず『宋名臣言行録』

  この場合、「心」というのは下心のこと。韓琦という人物が宋の時代にいた。彼は「事を処するには心あるべからず。心あれば自然なら

   ず自然ならざれば乱る」事を処するのに、変な下心があってはいけない。下心があると、どうしても無理が生じ騒ぎの元になる。


【4月7日】

○ 善く戦う者は勝ち易きに勝つ者なり『孫子』

  「勝ち易きに勝つ」とは、余裕を持ってらくらくと勝つということである。無理のない自然体の勝ち方とも言える。

  よく、野球で下手な野手ほどファインプレーにするといわれる。球の行方を見てから動き出すので、それほど難しくない打球でも、逆シ

    ングルで捕ったりする。これに対し、うまい選手はあらかじめ打者の癖を読んで、守備位置を変え打球音を聞いた途端に動き出している。

    だから難しい打球でも、身体の正面でらくらくと捕っている。たとえは、うまい野手の捕球と同じで、これができるためには、情況に対す

    る深い読みと、万全の準備を必要とするが、仕事でもこのような勝ち方をできるとよい。


【4月8日】

○ その光を和らげ。その塵に同じうす『老子』

  和光同塵ともいう。『老子』は、万物の根源に「道」の存在を認め、この「道」から万物が生み出されると考えた。老子に因れば、

  「道」はそれほど大きな働きをしながら、いささかも自己主張をせず、いつもしんと静まりかえっている。そういう「道」のあり方を説明し

   ているのが、この言葉である。

  「光」とは、才能とか知識という意味。「塵」とは世俗である。この言葉は、才能を包み隠して世俗と同調するという意味になる。

  人間も「道」の持っているこういう大いなる徳を身につけることができれば、ぞんな乱世でも生き抜くことができるという。

  要するに、自分の才能をひけらかしたり、「俺が、俺が」と出しゃばるような生き方は、するなという。しぶとい雑草の精神といってよ

   い。


【4月9日】

○ ヨモギも麻中に生ずれば、扶けずして直し『荀子』

  ヨモギという草は、ふつう土にへばりついて生えている。しかし、そんなヨモギでも、麻の中に生えればすくすくと育つ。なぜなら麻は

 上へ上へとまっすぐに伸びるので、その中に生えればヨモギもそれに影響される。人間もそれに同じこと。環境を選び、よい友好関係に恵

    まれれば、それに感化されて立派な人間に育つという。

  荀子は、この後「君子は土地を選んで居を定め、優れた人物とだけ交わる。為にならない者を遠ざけ、正しい者に近づくためである」

    と。

     確かに人間の性格は、環境によって形成される。それに環境というのは変更不可能なものではない。その気になれば、いくらでも帰るこ

    とができる。立派な環境を作るのも、結局は自分の責任かも知れない。


【4月10日】

○ まさに大いに為すことあらんとする君は、必ず召さざる所の臣あり『孟子』

  「将来、大事業を成し遂げようとする君主には、必ず呼びつけにできない臣下がいる」

  過去に見ると、春秋時代に覇者となった桓公には、管仲という名補佐役、三國志の劉備は、諸葛孔明を『三顧の礼』を払い軍師に迎えた。

  だが、並のトップにはこれができない。「いま、各國の王はどんぐりの背比べで、傑出した者がいない。それというのも、自分以下の人

    間だけを臣下にし、自分より優れた人物を臣下にしたがらないからだ。」と孟子は言っている。

  呼びつけにできる臣下ばかりに取り囲まれていたのでは、大きな仕事はできないばかりでなく、人間的な堕落まで招くことになる。


【4月11日】

○ 暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾与(とも)にせず『論語』

  子路という孔子の門人が孔子に対して、「もし先生が大国の総司令官に任命された場合、頼りにすれるのはどんな部下ですか」と聞い

    た。

     孔子は、見だしのように言った。「暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾与にせず。必ずや事に臨んで懼れ、謀りごとを好んで成す者な

    り」意味は、「素手で虎に立ち向かうとか、歩いて黄河を渡る類いのことをしないこと。むしろ臆病で注意深く、成功率の高い周到綿密な計

    画を立てる人間の方が頼りになる」

  これは、孔子だけではなく、上の者から見た場合、安心して仕事を任せられるのは、思慮深く、慎重な人物だろう。


【4月12日】

○ すでに明かつ哲、以てその身を保つ『中庸』

  明哲保身ということである。保身は現在は違う意味合いで解釈されているが、もともと悪い意味ではない。生きにくい世の中を無事に生

    き抜くこと、それが「保身」であった。『無事これ名馬』といったようなもので、考えてみればこれほど難しい事はないかも知れない。

  その難しいことを可能にするには、「明」と「哲」である。これは事理に明るく読みの深いことを言う。この二つの条件があれば、どん

    な世もしっかりと「身を保つ」ことができる。


【4月13日】

○ 鼎の軽重を問う『左伝』

  しかるべき地位に就いている人物に対して、その資格を疑い、退任を迫ること。周の王室に、王位の象徴としての鼎が伝えられていた。

 周王室も春秋時代になると、力が衰え、代わって覇者と呼ばれる実力者たちが擡頭して天下の政治を取り仕切った。中には楚の荘王のよう

   に王室の権威に疑いを抱く覇者も出てきた。ある時荘王が、王室の使者に向かい、鼎の大きさと重さについて尋ねたところ、使者は「周の

    徳衰うといえども、天命改まらず、鼎の軽重問うべからず」と答えた。

  現代のリーダーも、鼎の軽重を問われるようではおしまいである。そうならないためには、リーダーにふさわしい徳と力を、しっかり保

    持していかねばならない。


【4月14日】

○ 鞠躬(きくきゅう)尽力、死して後已まん『三國志』

  諸葛孔明は、劉備亡き後、その遺言によって蜀の全権を握り、漢王朝の正当を回復すべく宿敵の魏に戦いを挑んだ。

  この戦いは、国力の違いなど諸般の事情を考え合わせれば、はじめから勝ち目のない戦いだった。しかし、この戦いが蜀という国を揚げ

    た国家目標であった。この決意を語ったのが「鞠躬尽力、死して後已まん」である。

  鞠躬とは、上の者の命令をかしこんで承るといった意味で、この場合命令とは劉備の遺言ということになろう。

  孔明の後半生は、鞠躬そのものであり、それが長く人々の感動をさそう理由ともなった。


【4月15日】

○ 君子は交わりても悪声を出さず『史記』

  仮に交友関係を絶つことがあっても、「あいつはひどい奴だ」といった類いの非難めいたことは一切口にしない。これが君子の交わりで

 ある。

  中国人は一般に、相手が確かに信頼できる人間だと見極めるまでは、心を開かない。それを確かめたところで、友人としての付き合いが

 始まる。いったん心を開くと、あくまでも信頼してかかる。なんらかの事情で交際を絶つことになっても、相手の悪口は決して口にしな

    い。

  その理由は、一つにそんな相手を友人として持ったということは、自分に人間を見る目がなかったからであり、それをみずから吹聴する

    ことになる。二つ目は、悪口は必ず相手の耳に入り、いつかどこかで反撃され、一つもプラスにならないからである。


【4月16日】

○ 管鮑の交わり『史記』

  友情とは何かと聞かれた時、真っ先に出るのが『管鮑の交わり』である。管は斉の国の名宰相だった管仲、鮑とは、やはり重臣の鮑叔と

    いう人物である。のちに管仲は鮑叔の友情について、「私は昔貧乏だった頃、鮑叔とくんで商売をした。もうけを分ける段になって、自分

    が余分に取ったが、彼は欲張り呼ばわりしなかった。私が貧乏なのを知っていたからだ。また、私が幾度か仕官して、その度にお払い箱に

    なったが、彼は無能呼ばわりしなかった。私が時節に恵まれないことを察していたからだ。また私は戦に出るたびに逃げ帰ったが、彼は臆

    病者よばわりしなかった。私に年老いた母が居ることを知っていたからだ」と述懐している。

  これで見ると、相手の身になって考えてやることが友情の本質であるようだ。 


【4月17日】

○ 慮らずんば胡(なん)ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん『書経』

  「なせばなる」の中国版といってよい。ただそれだけではなく対句の形だ。

  前段は、役に立つ教えを聞いても、上の空で聞き流していたのでは身につかない。本当に自分のものにするためには、自分の頭で考えなさ

 いというもの。特に現代の若者らに必要な言葉であろう。マニュアルになれた者にはきついだろう。

  後段は、頭で考えてばかりいて実行しなかったら、せっかくの知識も宝の持ち腐れに終わるというもの。実行の大切さを強調した言葉で

 ある。


【4月18日】

○ 瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず『文選』

  「疑わしきは罰せず」は法律の世界だが、個人的なモラルとしては、「疑わしきは為さず」という態度が必要だろう。瓜畑では靴を履き

 替えてはいけない。スモモの木の下では手を上げて冠を直してはいけない。疑われる原因となる。

  誰しも人から疑われるのは気持ちのよいものではない。濡れ衣という場合もある。だから自分が人から疑われるような仕草をしないこと

 も大切だという。


【4月19日】

○ 他山の石、以て球を研くべし『詩経』

  よその山から出た石ころでも、こちらの球を磨く材料とすることができる。つまり、つまらぬ他人の言動でも、自分を鍛える助けとして

 活用できるというもの。わかりやすく言えば「人のふり見て、わがふり直せ」ということである。

  自分を鍛えるのは、どんな人にも望まれることであるが、特にリーダーには不可欠の条件である。では、自分を鍛えるにはどうすれば

 良いか。立派な人物を目標にして、そのレベルをめざして努力することである。

  周囲に居ない場合は、くだらない人物はいるだろう。彼らを反面教師とすれば良い。どんな相手も利用価値はある。それが他山の石であ 

 る。


【4月20日】

○ 三人行えば、必ず吾が師あり『論語』

  「仮に何人かで一緒に仕事をするとしよう。私にとって彼らはみな先生だ」となる。孔子はこの後「その善なる者を択びてこれに従い、

 その不善なる者にしてこれを改む」と付け加える。

  孔子は貧しい家庭に生まれ、早くから自分で働いて生活の資金を稼がねばならなかった。いわば生活の苦労をなめて育った。

  そういう中で、孔子は学問で身を立てようと決意した。だが貧しい少年には先生について学ぶ等不可能である。彼の先生は周囲の人々

 であり、見たり聞いたりすることがみな勉強の材料となった。


【4月21日】

○ 苛政は虎よりも猛し『礼記』~略~

 


【4月22日】

○ 天下に忌諱多くして、民いよいよ貧し『老子』

  あれも駄目、これもダメと、禁令のたぐいが増えれば増えるほど、人民の生活はいよいよ貧しくなる。管理や締め付けを厳しくすれば、社

   会全体が息苦しくなり、人々の創造性も社会の活力も失われてしまう。その結果、生活水準も思うように向上しない。

  老子は、こうも語る。「技術が進めば進むほど社会は乱れ、人間の知恵が増せば増すほど不幸な事件が絶えず、法令が整えば整うほど、犯

   罪が増えている。」管理社会の現実に鋭く反省を迫る言葉である。


【4月23日】

○ 窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ『荘子』

  中国を旅すると、人々はゆったりした時の流れの中で、それぞれがそれぞれのやり方で人生を楽しんでいるように見える。それぞれの境

   遇に自足しながらじっくりと人生を楽しむ姿がそこにある。むろん、人生を楽しむためには、経済的に余裕のあったほうが良い。しかし、

   お金がなかったら、人生を楽しむ方法を探すこと。二度とない人生、折角生まれてきたからには生活の中に自分なりの楽しみを発見しじっ

   くりと人生を味逢えば良い。


【4月24日】

○ 花は半開を看、酒は微酔に飲む『菜根譚』

  花を観賞するには五分咲き、酒を飲むならほろ酔いで止めておく。

  菜根譚は、「盈満を履む者は、よろしくこれを思うべし」という。つまり、満ち足りた境遇に有る人は、このことをよく考えて欲しい

   と。この一句は、花の見方や酒の飲み方を語りながら実は人生の生き方を説いている。満ち足りた境遇は、往々にして人をダメにする。傲

   慢になったり、意固地になったりしてかえって人から嫌われる。むろん、したいことも十分に出来ないような不自由な境遇も困る。ほどほ

   どが良いということだ。恵まれた人でも、一つや二つは思い通りにならないことを抱えていた方が良いのかも知れない。


【4月25日】

○ 禍福は門なし、ただ人の招くところ『左伝』

  禍福や災いは特別な門があって入ってくる訳ではない。それもこれもみな当人が招くのである。だから、幸せになりたいと思うなら、

 自分でコツコツと努力しなければならない。仮に不幸せな状態になっても、その原因を作ったのは自分であるから、人を責めてはいけな

    い。自分の力で、不幸せから脱出するように努める必要がある。

  この言葉は、不当な措置に腹を立て、勤めを休んでふてくされている人物に向かって、「そんなことでは、今以上にひどくなるよ」と戒

    めたものである。

  不幸せな状態になると、自分の責任は棚に上げて、つい人を怨みたくなるのが人情である。そんな態度では、いつまでたっても不幸せな

    状態から抜け出すことは出来ない。幸せは自分で汗を流して勝ち取るものだ。『天は自ら助くる者を助く』ともいう。


【4月26日】

○ 禍を転じて福と成す『戦国策』

  情況が悪化し、局面の打開を図る時などに使用する。これは、「智者の事を挙ぐるや、禍を転じて福と成し、敗に因りて功をなす」とい

    う文章で、仕事をするにあたり、禍を転じて福と成し、失敗を成功の母とするものだというのである。

  人生には、不幸や失敗はつきもの。どんなに用心しても一度や二度、不幸や失敗に見舞われない人生などあり得ない。問題はどう対処す

   るかである。『戦国策』によれば、一度や二度の失敗でへこたれるのは愚者の部類であり、失敗をバネにして、そこから人生の新しい展望

   を開くような逞しい生き方をするべきだという。  


【4月27日】

○ 人に接しては則ち渾(すべ)てこれ一団の和気『近視録』

  一見して冷たさを感じさせる人物とか、とげとげしい雰囲気をもつ人物のところには、人は集まってこない。人が集まるのは温かさを持

 った人物である。それが「和気」であり、人間関係を円滑にする重要な条件である。

  ただし、取って付けたようなうわべだけではいけない。内心からにじみ出るような「和気」がいる。

  菜根譚は、「寛大で心の温かい人は、万物を育む春風のような者だ。そういう人の元ではすくすくと成長する。酷薄で冷たい人は、真冬

 の雪のようだから、そういう状態では、死に絶えてしまう。


【4月28日】

○ 君子は必ずその独りを慎む『大学』

  慎独ともいう。他人の見ていない所でも、間違ったことをしないように、絶えず自分の言動を確認すること。他人の目があれば誰でも

 慎重に振る舞うが、他人の目があろうがなかろうが、常に慎重に振る舞うことができる。

  独りだからといって間違ったことをすれば、他人には知られなくても、自分は知っている。他人はだませても自分はだませない。


【4月29日】

○ 険を見て能く止まるは知なるかな『易経』

  危険を察知したら、進むのを見合わせて立ち止まる。それが智者である。中国人の言う「知者」とは、単なる物知りではない。自らの

 進退について、適切な判断を下せる者を言う。

  いい加減な状況判断で、ただやみくもに前へ進むのを「匹夫の勇」という。いわゆる猪武者のこと。

  不確実な時代を生き抜くには、全天候型の人間であること。攻めにも強いが、守りにも強いということ。危険だと判断したら、踏みと

 どまる手堅い生き方を身につけたい。


【4月30日】

○ 傲りは長ずべからず、欲は縦(ほしいまま)にすべからず『礼記』

  傲りとは、傲慢なことである。自分の能力や地位を鼻にかけて人を見下すことをいう。まずそういう気持ちがあり、それが自ずから表情

 や態度に出る。これと似て非なるものが「誇り」である。自尊心、プライドで、こちらは人としてあった方が良い。それがあまりにいびつ

 になると傲慢となる。

  「欲」も同じこと。人間は欲望があることによって社会が進歩してきた。それは積極的に評価されるべきだ我、無制限な欲望の追求は、

 はた迷惑となる。こちらの幸せが相手に不幸をもたらすようでは幸せも長続きしない。


【5月1日】

○ 君子は豹変す『易経』

  はじめは「賛成」と言っておきながら、何かの事情でコロリと態度を変えて一転「反対」と叫ぶ。現在はこれを良くない意味に使うが、

 本来の意味は、変化することに変わりはないが、良い方向に変化することである。ヒョウの皮のように美しい方向に変化することが「豹変」

 である。今までの自分から脱皮して新しい自分を創造することをいう。


【5月2日】

○ 備えを以て時を待ち、時を以て事を興す『管子』

  どんな仕事でも、十分な準備をもって取りかからないと、成功は覚束ない。また、万全な準備を調えても、良いタイミングを捉えて始めな

 いと、失敗を免れない。

  要は、「周到な準備を調えて好機の到来を待つ。好機到来とみるや、直ちに行動を開始する」ということである。

  管子は、昔から優れたリーダーは、皆このように行動したから、素晴らしい成功を収めたという。ここで肝心なのは「待つ」ということで

 ある。しかも、漫然と待つのではなく十分な準備を調えながら待つのである。これは、個人の処世にも当てはまる。人生には一度や二度の出

 番が回ってくる。その出番に備えて普段から十分に力を蓄えておくことだ。


【5月3日】

○ 人を存(み)るものは眸子(ぼうし)より良きはなし『孟子』

  相手の人物を判断する一番良い方法は、相手の目を観察することだという。孟子は、「眸子はその悪を掩(おお)うこと能わず。胸中正しけ

 れば、眸子はあきらかなり。胸中正しからざれば眸子は暗し。その言を聞きて、その眸子を観れば、人焉んぞ痩(かく)さんや。」と言う。

  俗に「眼は心の窓」という。心が濁って入れば眼も濁るし、心が曲がっていれば自ずからそれが眼に現れる。もっともそのためには、こち

 ら側も相当な観察眼が必要であろう。


【5月4日】

○ 山をつくること九仞、功を一簣にかく『書経』

  周の武王が、殷の紂王を滅ぼし周王朝を興すや、四方の国々がみな周に服した。旅という国から珍獣が献上された。

 喜ぶ武王を見て、召公という重臣が諫めた。珍しい物に心を奪われて政治を怠ってはならないと説き、「嗚呼、夙夜勤め

 ざることあるなかれ。細行をつつしまずんば、終に大徳を累せん。山をつくること九仞、功を一簣にかく」

  朝は早くから夜は遅くまで王者としての徳を磨くように努めなければならない。些細なことだからと気を緩めると、

 ついには大きな徳を損なうであろう。九仞の高さの山も最後の詰めを怠るとガラガラと崩れてしまう、というのだ。