⒈学は人たる所以を学ぶなり(吉田松陰・松下村塾記)

 学問は「人とは何か」を学ぶものである。

 学問とは、自分を見つめてその本質を知り、変化する時代を着実に読み取って自分のものとし、自分が社会に対して何が出来るか、何をなすべきかを導き出す案内人といえる。

 吉田松陰は、「学問の道は、人と禽獣(鳥と獣)とでは、どこが違うのかを知ることが肝要である。その違う点とは、五倫(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)、五常(仁・義・礼・智・信)を守っているか否かにある。これを失った者が庶民、頑張って得たものが君子、ゆったりとして自ずと身につけているのが聖人である。衆人は努力すれば聖人にも君子にもなれるが、禽獣に落ちるものもある」(講孟劄記)と述べている。  


⒉ 森信三の言葉

⑴ 人生の根本問題  

  われわれにとって一番大事な点は、われわれ人間が本当に『生きる』ということであり、さらにはお互い一人びとりが真に生きるという

 ことであります。宗教というものの根本も、結局は「われいかに生きるべきか』という人生の根本問題に他ならないのであります。

 

⑵ 一生の縮図

  「一日は一生の縮図なり」というのが私の信条だ。一生は過ぎ去ってみないことにはわかりっこない。だが自分の一生がどうなりそうか

 ということは、いまのうちに見当をつけなくてはいけない。そしてのその見当を見るには、いまいうように、一日の予定がどこまで果たせた

 かということを、常に見て居らねばならない。つまりわれわれが、朝目を覚ますということは、赤ん坊として生まれたということ。夜寝るのは

 棺桶へはいるということだ。一生の縮図がそこにはあるのだ。


⒊吉田松陰「人を動かす天才」の言葉から

○ 自分の価値観で人を責はならぬ(野山獄文稿「富永有隣の説から)

  『己を以て人を責むることなく、一を以て百を廃することなく、長を取りて短を捨て、心を察して跡を略(と)らば、すなわち天下いずくに

 か往くとして隣なからん。』

 【意味】

  自分の価値観をもって人を攻撃してはいけない。ひとつの失敗でもって、すべてを断じてはならない。相手の長所を取り上げて、短所は

 見ないようにする。相手の心を察して、結果が悪くても許す。そうすれば世の中、どこへ行っても人は慕って集まってくる。

 【解説】

  富永有隣は、松陰より9歳年上で明倫館に学び、藩主の前で「大学」を講じた秀才であったが、自らの才能の故に、自分ほど優れた人間は

 いないとお高くとまって、人を見下して憎むことがあった。このため、他の藩士からのけ者にされ親戚から流罪にされる。その後野山獄に幽閉

 された。松陰より一年早かった。

  松陰は、有隣にその性格を直すように忠告し、「なぜ、皆をそう敵視するのか。私が見るに、あなたは獄中で死ぬような人間ではない。徳を

 積んで、人に慕われるようになれば、事を成就できよう。あなたにはできる。」と言った。

  有隣は立ち直り、獄内だけではなく、松下村塾でも松陰の右腕となった。

 


⒋佐藤一斎・言志録第123条「光陰を惜しむ」

言志録(123条)歳月人を待たず
【原文】  
  人は少壮の時に方(あた)りて、惜(せき)陰(いん)を知らず。知ると雖(いえど)も太(はなは)だ惜しむに至らず。四十を過ぎて以後、始めて惜陰を知る。既に知るの時、精力漸(ようや)く耗(もう)す。故に人の学を為すには、須(すべか)らく時に及びて立志勉励するを要すべし。しからざれば則ち百悔(ひゃっかい)すとも亦(また)竟(つい)に益無し。
  ※惜陰…時間を惜しむ。陰とは移りゆく日陰
【意義】
   人は若いうちには時間を惜しむことを知らない。たとえ知っていてもそれほど惜しむわけではない。40歳を過ぎた頃になって初めてその意味を知る。しかしその頃には精力は減退し衰えが始まっている。従って学問をするには、若いうちに志を立てて勉め励まなければならない。後になって気付いても、大きな悔いを残すだけである。
【解説】
   森信三先生は二十歳までに志を立て、それに従って四十歳まで仕事を通して自らを磨かなければ、四十歳以降社会の役に立つことはできないといった趣旨のことを言われていました。 四十歳までは社会へ貢献する準備期間である故、寸暇を惜しんで学び、務めなければならない。
 「少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰、軽んずべからず。未だ覚めず、池塘(ちとう)春草(しゅんそう)の夢。階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)、已(すで)に秋聲(しゅうせい)。」朱熹(偶成)
   ※森信三先生…明治29年愛知県生まれ。京都大学哲学科卒

 


⒌馬鹿丁寧よりぶっきらぼうが信用できる(菜根譚)

 【原文】

 君子はその練達ならんよりは、朴櫓なるにしかず。その曲謹ならんよりは疎狂なるにしかず。

 【解説】

 世渡りの術にたけることは、多くの場合人間の中身を卑しくする。ああすれば損、こうすれば得という感情ばかりが先に立ち、それに随って

反射的に行動してしまう。

 そうした生き方が得意になればなるほど、自分の言行が他人にどんな影響を及ぼし、世の中でどのような意味を持つかといった反省がお留守

になって、スイスイと調子が良いだけの薄っぺらな一生を終わることになる。

 万事に如才がないよりは、いくらか間が抜けているくらいの方が、また馬鹿丁寧よりは、一本気でぶしつけな位が人間として信用できるとい

うのだ。

 この世に生きていくからには、世渡りの知恵も人付き合いのマナーも欠かすことはできない。だが、それだけ一人歩きして中身が空っぽにな

った人物のつまらないこと。親切心としっかりした商品知識を備えた誠実な営業マンが信用され、実際に成績を上げていると言うが、是非その

用になって貰いたい。 


⒍裸の王様になってはならない「菜根譚」

【原文】 

 耳中常に耳に逆らうの言を聞き、心中常に心にもとるの事あれば、わずかにこれ徳に進み行いを修むるの砥石(しせき)なり。もし言々耳を

悦ばし、事々心に快ければ、すなわち、この生を把りて鴆毒(ちんどく)のうちに埋在せん。

【解説】

 耳に入るのは耳の痛いことばかり、することなすこと思うようにいかないという状況の中でこそ、人間は磨かれる。耳に入るのは甘いお世辞

ばかり、何事も思いのままという環境ならば、知らぬ間に猛毒に侵されて一生を台無しにするだろう。

 困ったことに、口に苦い良薬は飲みたくないのが人情だ。とりわけ高い地位にいる人ほどその傾向が甚だしい。そこで下の者としては、事実

をありのままに報告して苦い顔をされるよりは、上の者が喜ぶような情報しか提供しないようになる。

 こうして作られた「裸の王様」は、自分やその組織が置かれている状況についての客観的な認識がないままに、砂上の楼閣でご機嫌の毎日を

過ごしている。そして破局はある日突然やってくる。

 その場に臨んで「そんなことがあったのなら、なぜ言ってくれなかったのか」と部下を責めても手遅れ。耳に痛い情報をシャットアウトして

いたのは、トップ自身だったのだから。 


⒎お先にどうぞ、お一つどうぞ「菜根譚」

【原文】

 径路窄(せま)き処は、一歩を留めて人の行くに与え、慈味濃かなるものは、三分を減じて人の嗜(たしな)むに譲る。

【意味】

 狭い道では足をとどめて「お先にどうぞ」、おいしい食物は箸をとる前に「あなたもいかがですか」というゆとりと思いやりのあるなしが、

地位や知識以前の人間の質を判別するものさしとなる。このように考えるなら、現在の家庭教育、学校教育は人々の心をより貧しく、浅ましい

ものとすることに力を入れているように感じる。

 競争意識が向上へのバネとなることは認めるが、この厳しい世の中で「一歩を留めて」いたらたちまち追い抜かれて落ちこぼれるのではないかというのが常識化している。

 だが、人間の資質や能力は千差万別であ。「このことは人に負けないぞ」という自信は是非持たないといけないが、ある面では「それは俺には向かない」というリアルな自己認識も必要ではないか。

 自分が不得手なものは無理に競おうとせず、自分の持たぬ能力は持った人に敬意を払い、その力を借りれば良い。こうして、さまざまな能力

の組み合わせによる棲み分けが成立すれば、追いつ追われつばかりの競争社会より、よほど安らぐ世の中になるのでは。 


⒏論語

【原文】

 子曰く、故きを温めて新しきを知る。以て師たるべし

【意義】

 先生の教え。古人の書物に習熟して、そこから現代に応用できるものを知る。そういう人こそ人々の師となる資格がある。

【原文】

 子曰く、仁遠からんや。我、仁を欲すれば、すなわち仁至る。

【意義】

 先生の教え。仁(人の道)は難しい徳であろうか。己がそうありたいと志せば、ただちにその境地に達するのだ。